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東京高等裁判所 昭和51年(ネ)2786号 判決 1977年11月30日

控訴人 野口保次

右訴訟代理人弁護士 増岡正三郎

同 増岡由弘

被控訴人 株式会社中村屋

右代表者代表取締役 浅田慶一郎

右訴訟代理人弁護土 森川静雄

同 馬場敏郎

主文

本件控訴を棄却する。

訴訟費用は差戻前の控訴審、上告審、当審とも控訴人の負担とする。

事実

第一申立

一  控訴人

1  原判決を取消す。

2  被控訴人は控訴人に対し金六〇〇万円及びこれに対する昭和四六年一〇月八日から支払いずみまで年一割五分の割合による金員を支払え。

3  仮執行の宣言

二  被控訴人

主文第一項同旨

第二主張

一  控訴人の請求原因

控訴人は、被控訴会社代表取締役相馬雄二との間において、昭和四五年三月一一日金四〇〇万円、同年五月八日金二〇〇万円を、いずれも利息日歩五銭、弁済期同年七月一一日の約で被控訴会社に対して貸渡す旨の合意をし、右各同日、同人に対して右各金員を交付した。

よって、控訴人は被控訴会社に対し、右貸金合計金六〇〇万円及びこれに対する弁済期の後である昭和四六年一〇月八日(訴状送達の日の翌日)から支払いずみまで前記約定利率を利息制限法所定の範囲内に引直した年一割五分の割合による遅延損害金の支払いを求める。

二  被控訴人の認否及び抗弁

1  認否

請求原因事実のうち、控訴人が、その主張の各日時に当時、被控訴会社の代表取締役であった相馬雄二との間において、控訴人主張の各金員を貸渡す旨の合意をし、同日、右各金員を同人に対して交付したことは認めるが、同人が右各金員を被控訴会社の代表取締役として被控訴会社のために借受けたものであることは否認する。同人は右各金員を自己のために借受けたものである。

2  抗弁

仮に、相馬が控訴人主張の各金員を、被控訴会社の代表取締役として被控訴会社のために借受けたものであるとしても、右借入は、同人が代表取締役としての権限を濫用して行ったものである。

すなわち、被控訴会社は各種菓子及びパンの製造販売を主たる目的とする会社であるが、取引銀行が富士銀行等一〇行もあって、資金を必要とする場合には右取引銀行から容易に融資を受けることができるから、高利を支払ってまで銀行以外に融資を依頼する必要は全くない。相馬は、代表取締役在任中、個人手形を振出して金融業者から割引を受け、三億円を越える個人債務をつくり、そのため昭和四五年五月一六日代表取締役を辞任したものである。本件借入金も、相馬において控訴人に対し、被控訴会社がレストラン・チェーン設置計画を実現するための事前工作費として使用する旨申向けて借受けたものであるが、被控訴会社はそのような計画をかつてたてたことはなく、もとより本件借入金をそのような目的に使用したことなど全くない。本件借入金は、いずれも相馬がその個人的利益をはかるために行ったものである。

そして、控訴人が相馬の右権限濫用の事実を知らなかったとしても、次の諸点からすれば、知らなかったことについて重大な過失があるというべきである。

(一) 控訴人は、相馬から本件の借入れを依頼された際、レストラン・チェーンを設置することには他の取締役が反対しているので、その事前工作費として資金を必要とする旨告げられているのであるが、事前工作という以上は代表取締役個人の構想に過ぎず、被控訴会社の業務執行と考えるのは速断である。

(二) 本件借入れについては、単に相馬の名刺(被控訴会社代表取締役社長の肩書付)に借入金額を記載したものをもって借用証とし、被控訴会社名義の形式の整った借用証は作成されていない。

(三) 金の授受がすべて控訴人の自宅で行われ、ことに二〇〇万円の貸金については、夜間、相馬個人が受取に赴いているのに、控訴人はなんら不審にも思っていない。

(四) 被控訴会社のような一流会社が借入れをするのであれば経理を通してするのが当然であるのに、本件借入れについては被控訴会社の経理を通していないことが明らかであるにも拘らず、控訴人は被控訴会社に対して確認する方法をなんら構じていない。

(五) 控訴人は、相馬に対して、本件以前にも同様の理由、方法で昭和四四年九月以降三回に亘って合計金九九〇万円を貸付けており、本件を含めると総額金一五九〇万円の多額となる。

したがって、被控訴会社は、本件貸金につき、その支払義務がない。

三  抗弁に対する控訴人の認否及び反論

1  認否

抗弁事実のうち、被控訴会社がその主張のとおりの目的の会社であること、本件借入れをするにつき相馬が控訴人に対して、本件借入金を被控訴会社においてレストラン・チェーン設置計画の実現のための事前工作費として使用する旨及びレストラン・チェーン設置については被控訴会社の取締役の中に反対者がいる旨告げたこと、本件借入れについては相馬の名刺(被控訴会社代表取締役社長の肩書付)に借入金額を記載したものをもって借用証とし、被控訴会社名義の形式の整った借用証が作成されていないこと、金の授受がすべて控訴人宅においてされたこと、控訴人が相馬に対して本件と同様の理由、方法で被控訴人の主張するとおり三回に亘って合計金九九〇万円を貸渡していることは認めるが、その余の事実及び主張は争う。

2  反論

(一) 本件借入金及び本件以前の前記三回の借入金は、いずれも被控訴会社のレストラン・チェーン設置計画実現のための事前工作費として使用され、その結果被控訴会社は昭和四六年から昭和四八年にかけて四店舗を開設しているものである。

したがって、本件借入れは相馬が自己の利益をはかって行ったものではなく、被控訴会社の利益のために行ったものであるから、代表取締役としての権限濫用行為というにはあたらない。

(二) 仮に、本件借入が権限濫用行為にあたるとしても、控訴人は本件貸付をするに際して右事実を知らなかったものであり、かつ、被控訴人主張の事実をもってしては、知らなかったことにつき控訴人に過失があるということにはならないものというべきである。すなわち、

(1) 相馬は、本件貸借及び本件以前の三回の貸借について、控訴人に対し、被控訴会社の取締役の一部にレストラン・チェーン構想に反対する者がいて、右構想の実現や、そのための借入を妨害するので、取引銀行以外から右構想実現の事前工作のための資金を調達する必要がある旨説明をし、控訴人は右説明に基づいて被控訴会社の右構想推進のために本件貸付をしたものである。

およそ、株式会社の業務執行権は代表取締役に専属し、代表取締役以外の取締役は取締役会において会社内部の意思決定に参与しうるに過ぎず、代表取締役は一部少数の取締役の反対意見にかかわらず業務の執行をすることが法律上可能であるから、相馬が前記のような事実を控訴人に告げたからといって、同付の個人的利益のために本件借入れがされるものであることを控訴人が知りえたものであるとする余地はない。

(2) 相馬の前記名刺をもって本件貸借の借用証としたのは、本件以前の三回の貸借についても同様の方法をとっていたが、右貸付金は約定どおり返済されたので、本件についても右の方法をとったものである。

(3) 本件貸借については、金の授受がすべて控訴人宅において相馬本人に対してされているが、借主が貸主宅に借受金の受領に赴くのは通常かつ当然のことであり、また融資を依頼した代表取締役に交付するのが最も確実なので、控訴人が相馬に対して自宅に来るように指示して、直接同人に交付したものである。

(4) 仮に、相馬が本件借入金を被控訴会社の経理に入れなかったとしても、それは控訴人の関知するところではなく、貸付後の事情に過ぎない。しかも、相馬は前記のとおり控訴人に対して、被控訴会社の一部の取締役の反対を押切ってレストラン・チェーン設置計画実現のための事前工作費として借入れをすると述べ、控訴人はその言葉を信じたからこそ、あらためて被控訴会社の経理担当者に確認することなど全く考えてもみなかったのである。

(5) 本件以前の三回の貸付金については、その貸借期間が重なったことはなく、一回の貸借が返済によって終了してから次の貸借が行われている。したがって、控訴人は、右各融資によって代表取締役たる相馬のレストラン・チェーン構想が企図する方向に進んでいるものと信じていたので、本件貸借を行ったものである。

第三証拠《省略》

理由

一  控訴人が、その主張の各日時に当時、被控訴会社の代表取締役であった相馬雄二との間において、控訴人主張の各金員を貸渡す旨の合意をし、右各同日、相馬に対して右金員を交付したことは当事者間に争いがない。

二  本件貸借の借主について判断する。

株式会社の代表取締役がその職務権限内において、その法律効果を会社に帰属させる意思を表示してした行為の効力が会社について生ずることはいうまでもない。

ところで、相馬が本件借入れを控訴人に依頼するに際して、「本件借入金は被控訴会社のレストラン・チェーン設置計画実現のための事前工作費として使用する。」との説明をし、本件借入金の領収証として、被控訴会社代表取締役社長の肩書の付された同人の名刺に借入金額を記載して交付したことは当事者間に争いがなく、《証拠省略》によると、後記三において具体的に示すとおり、相馬は本件借入れに際して借入金は被控訴会社において返還すべきものである趣旨のことを述べ、控訴人は右言に従って本件契約をするに至ったものであることが認められる。

以上の事実からすると、相馬は本件借入れに際して、その法律効果を被控訴会社に帰属させる意思を明示しているものというべきであるから、相馬がした本件借入れは、他に格別の理由のないかぎり被控訴会社につきその効力を生ずるものといわなければならない。

もっとも、相馬は本件借入れを控訴人に依頼するに際して控訴人に対し、レストラン・チェーン設置工作については取締役の中に反対者がいる旨述べていること、本件借入れについての借用証として前記名刺のほかには被控訴会社名義の形式の整ったものが作成交付されていないこと、金の授受がいずれも控訴人宅で行われていることは当事者間に争いがなく、《証拠省略》によると、本件借入れは被控訴会社の経理を通じて行われたものではないこと、《証拠省略》によると、相馬は本件借入れについての担保としてその個人名義の手形を振出し控訴人に交付していることがそれぞれ認められる。

しかしながら、相馬が本件借入れに際して、被控訴会社のためにする意思を明示したものと認められること前示のとおりである以上は、右のような各事実が存在するからといって、相馬がした本件借入れの効力が被控訴会社について生ずるとの前示判断を覆すに足りるものではないというべきであり、他には以上の認定判断を左右するに足りる証拠はない。

三  抗弁について判断する。

株式会社の代表者が、表面上会社の代表者として、その職務権限の範囲に属する行為をした場合であっても、その行為が自己または第三者の利益をはかる等の背任的意図をもって権限を濫用してされたものであり、かつ相手方が代表取締役の右の意図を知り、または知りうべきであったときは、右法律行為の効力は会社につき生じないものと解すべきである。

本件についてこれをみると、抗弁事実のうち、被控訴会社が各種製菓及びパンの製造販売を主たる目的とする会社であること、本件借入れをするに際して、相馬が控訴人に対して、本件借入金を被控訴会社においてレストラン・チェーン設置計画実現のための事前工作費として使用するのであるが、右計画については取締役の中に反対者がいる旨告げていること、相馬は控訴人から本件借入れの以前である昭和四四年九月以降三回に亘って本件借入れと同様の理由、方法によって合計金九九〇万円を借入れていることは当事者間に争いがなく、《証拠省略》を総合すると、次の事実を認定することができる。

相馬は、昭和四四年被控訴会社の代表取締役社長(昭和三三年頃から共同代表取締役)に就任し、昭和四五年五月一六日辞任したものであるが、その就任の当初からいわゆるレストラン・チェーン設置計画なるものを構想としてもっていた。右のレストラン・チェーン設置計画というのは、規格化された商品を共通の店舗構成、店舗運営で大量に製造、販売するために多数のレストラン店舗を連鎖的に設置してゆくというものである。ところで、被控訴会社において、このような計画案を実行に移すについては、先ず企画室において調査、検討され、部長会を経て、取締役会において意思決定がされるという手順を履践することが運営上必要とされており、代表取締役に決定を委ねられていたものではなく、計画実行のためにいわゆる事前工作費というような性質の金を会社として借入れ、支出するについても代表取締役が単独で決定できるものではなかった。そこで相馬の前記計画も業務運営の右の手順に従って企画室において検討されたが、右計画はこれを実行するために多大の資金と人材とを要する実行困難なものであり、しかも被控訴会社の業績からみて未だその必要が認められないものとして時期尚早との結論が出され、部長会、取締役会に正式に付議されるまでには至らずに昭和四四年五月ころには既に廃案とされていたものである。したがって、それ以降は右計画実現のための事前工作費の支出などということは、その必要の認められない状態にあったものである。もっとも、被控訴会社は、相馬が代表取締役であった前記期間中及びその後においてレストラン等の店舗を数店開設したけれども、これは前記のようなレストラン・チェーン設置計画という独立の事業計画に基づくものではなく、当該事業年度予算でした単個の事業計画に基づくものである。また、控訴人からの本件借入金及びそれ以前の三回の借入金については、いずれもその借入れの前後を通じて被控訴会社の他の取締役及び経理担当者が全く関与していず、本件以前の三回の借入金の返済についても同様であり、本件を含めてこれら借入金は被控訴会社のために正規の方法をもって使用されたものではないばかりか、レストラン・チェーン設置計画実現のためのいわゆる事前工作費として相馬が使用したとの形跡も認められない。なお、相馬の前記代表取締役の辞任は、同人が在任中、多額の個人的債務を負担したことを理由とするものである。以上のとおり認められる。

《証拠省略》によって、相馬個人からの取材を記事にしたものと認められ、甲第一七、一八号証(会社四季報)の「レストラン・チェーンに進出」との記事の「レストラン・チェーン」が前示した意味のものであるとは認めるに足りず、《証拠省略》のうち、レストラン・チェーン設置計画に基づく店舗が開設されているとの部分は、レストラン・チェーン設置計画の意味に関して前示したところと異る控訴人独自の見解に基づく判断によるものであり、したがって右各証拠はいずれも以上の認定を覆すには足りず、他に右認定を左右するに足りる証拠はない。

以上の認定事実によると、本件借入れは、相馬が具体的使途はともかくとしても、その個人的目的に使用するためにしたものとみるよりほかないから、背任的意図をもって行った権限濫用行為といわざるをえない。

しかも、仮に、相馬が本件借入れをするに際しては、本件借入金をレストラン・チェーン設置計画実現のための事前工作費として使用する意図があったとしても、前示のように取締役会の意思決定に至らない相馬のいわば個人的構想を遂行するための費用を会社の意思に反して敢て会社の名において借入れるというようなことは、およそ代表権限を委ねられている目的、意義に反し、会社に損害を及ぼす行為であるから、背任的意図に基づくものとして、同じく権限濫用行為にあたるものというべきである。

そして、相馬のこれら背任的意図は、控訴人においてこれを知りうべきものであったと認めるべきである。

すなわち、《証拠省略》によると、相馬は本件借入れ及びそれ以前の三回の借入れを依頼するに際して、控訴人に対し、「レストラン・チェーン設置計画実現のための事前工作費とは、目的店舗の調査、土地確保のための裏金として必要な費用である。」「レストラン・チェーン設置計画については大部分の取締役が反対しているため、今の段階では会社からは金は出せないので借用させてもらいたい。」「取引銀行から借りると、反対取締役にわかって、計画の推進を妨害されるおそれがある。」「会社が担保を出すべきだが、会社としては出せないので個人手形を代りに出す。」「取締役の反対があるので返済が遅れると申訳ないので担保として個人手形を出す。」などと説明したというのであって、これらの説明はその言葉どおりに受取れば、前示したように被控訴会社が借主であって、その利益のために使用するとの趣旨に表面上は受取れないでもないけれども、その真意は、要するにレストラン・チェーン設置計画については取締役の大部分が反対しているため事前工作費の借入れ、支出は公然とは行えないので相馬が秘かに行うというに帰するにほかならないものであることは容易に看取できるものというべきである。そうとすれば、一般にこのような経営の根幹に関する事業計画及びそのための資金の借入れ、支出等を代表取締役が単独で決定できるはずのものではなく、また単独で決定できるものであれば前記のような態度をとる必要のないことであり、しかも借入れの方法等の客観的事実も前記説明に符合し、通常の取引方法からみれば異例ともいうべきであるから、たとえ相馬が表面上は被控訴会社の利益のために使用する趣旨と受取れることを述べたとしても、控訴人においてかかる取引に要求される通常の注意を用いさえすれば、本件借入れが相馬の個人的使途のために行われるものであるか、あるいは少くとも被控訴会社の意思に反して行われるものであることを当然知りえたものというべきである。したがって、結局いずれにせよ、相馬の前示背任的意図は、控訴人においてこれを知りうべきものであったといわざるをえない。

してみれば、被控訴人の抗弁は理由があり、控訴人の本訴請求はこれを棄却すべきものである。

四  よって、控訴人の本訴請求を棄却した原判決は、その理由は異るけれども結局正当であるから、本件控訴を棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法九六条、八九条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 安岡満彦 裁判官 内藤正久 堂薗守正)

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